結局近所のギャラリーとかをふらふらしてみた。1度だけ話した知り合いに会ったのだけど、とゆうか自分からその展示に出向いたのだけどすごいそっけなくあいさつだけして帰っちゃった。後悔。人見知りが過ぎます。まあ緊張したんだよね。

お風呂先はいって勉強しよ。おなかいたいなあ。

民俗学をより厳密にテーマ決めて調べたい。たんに柳田國男のゆってることわかるわーってだけじゃなく。
将来的なテーマはやっぱり別子銅山の成り立ちから新居浜市の発展です。にしてもテーマが広すぎるね。叔父は何百年かの銅山の歴史とかは当たり前に把握してて、さらに銅山遺跡の石はどこ産か、レンガの積み方はイギリス式かフランス式かってゆうところに焦点を当ててるみたい。彼は化学教師だったからそれが妥当とゆうか一番ときめくんだろう。
わたしときたらやっぱり一般人で専門分野がないもので、銅山の最盛期具体的にどんな生活が旧別子にあったのか、今となってはひたすら植林のみが続くあの場所にかつてはどんな建築があってどれだけの人がすんでてどんな経済状況だったか、とかが一等気になるところです。それってノスタルジーですね。人類のみが持ってるという懐かしさという感覚。私はもちろん自分が生まれる以前の旧別子を知る由もないけど写真などで当時の生活をみてて、で今の実際のその場所にでむくとその変貌に平静を保てなくなります。一気に時間がとんじゃっててね、繋ぎとめるものがないのです。そこを埋めるためにとりあえずわたしは別子の概要、具体的に自分が知りたい事実を身につけてくべきなんだろう。なんとなくはもちろん知ってるけど全然自分のものになってない。とりあえずそれで1個まとめて、そのあと自分のテーマをきめるんだ!
別子から新居浜に続く旧街道、喜光寺商店街、大山積神社、廃線のあと、旧市街(合併が進む以前の新居浜市は海側のみ)。新居浜の中での部落意識(といってもいわゆる被差別部落というのではなくある地域を特別な名称で呼ぶとか、たまに年配の方たちがいうの聞いてるからわからなくはないけど厳密にどういうのかって全く知らない)などなど。やっぱ旧市街って魅力的。でも新居浜市について調べるとしたら太鼓祭の歴史とかも知りたくなるだろうからやっぱ膨大だよな。でも一生をかける、と思うとそんなもんだろうか。遠い世界に憧れてたけど(小さな恋のメロディや欲望にみるロンドンとか!地元なんていつでも捨てられると思っていた)結局わたしは地元にしかいられないような気がしてきた。東京もいる価値はあるとゆうかありすぎます。私は一つに絞れなくて結局何もしなさそうだからいま地元に異常に関心持つのかな。